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明日香村の民宿


 若き日を懐かしむのは老人の習いで、あるいは特権と言ってよい。ぼくがその特権を行使するにはまだまだ人生の蓄積が足りない。


 おととしの「柳生街道・滝坂の道」でひとまず終わりとしたぼくの「還暦を過ぎてからの仏像巡り」はそのすべてが日帰りの旅だったが20代前半の「若きの日の仏像巡り」では一泊二日の旅が二回あった。一回目は新薬師寺の宿房に泊まった。二回目は明日香村で民宿に一泊して翌日は室生へ行った。近ごろこの飛鳥室生の旅を懐かしく思い出していた。先日偶然見た室生寺の仏像を紹介するBS朝日の番組がぼくに室生を訪れた昔を思い出させた。
  そのころぼくは二十歳を少し過ぎたくらいで東京は赤坂の航空幕僚監部を支援する気象部隊の気象観測員として任務に就く一方で神田錦町にある工学系単科大学の夜間部に通う大学生でもあった。気象観測員はシフト勤務だったがたまにオフが二連続することがあってそれが大学の夏休みや冬休みだとちょっと遠くへ一泊二日の旅行をした。冬なら長野や新潟へスキーに行ったが大学二年の2月下旬は仏像巡りに奈良へ出かけた。
 その企てはというと、オフ一日目に早朝の新幹線で京都へ京都からは近鉄で飛鳥へ行き駅前で借りた貸し自転車をこいで古刹や遺跡を巡ってその日の夜は明日香村の民宿に泊まり翌日のオフ二日目は近鉄で室生口大野へ行きここでも貸し自転車を借りて大野磨崖仏を観てから室生までの約7キロを走り室生寺を拝観すると室生口大野へ戻り近鉄で京都ヘ行き京都から新幹線に乗って東京へ帰るという今ならとてもできそうにない体力頼みのそしてせわしない旅行だった。

  飛鳥路は桜井の聖林寺文殊院には行っていたが明日香村ははじめてだった。当時の明日香村は今よりずっとひなびた田舎でそれが冬だったから切り株だけを残す田んぼのあちらこちらに立つ稲藁の束を積み上げた塔がどこか寂しい風景に見えた。でも、ぼくははりきっていた。東京へ行ってからは仏像を観るといえば博物館美術館ばかりで古刹は鎌倉に行くのがせいぜいだったから久々の奈良は嬉しかった。岩波文庫の万葉集上下をバッグに入れたりしてちょっとばかり文人を気取っていた。あのころのぼくにとっての飛鳥は万葉集の天と地だった。近鉄飛鳥駅のホームに下り立ったとき日本ではないどこか知らない国に来たような気がして楽しい気分になった。
  さっそく駅前でレンタサイクルを借りた。発見されたばかりの高松塚古墳は旅行ガイドブックにはただ厳重に囲む柵を見るだけだと書いてあったからそれなら時間が惜しいと割愛し、猿石、鬼の俎板、鬼の雪隠、亀石、橘寺、川原寺跡、飛鳥坐神社、飛鳥寺、入鹿の首塚、飛鳥板葺宮跡、酒舟石、岡寺、石舞台を観てまわった。そして、甘樫丘と雷丘だ、あれが天の香具山であっちに畝傍山むこうは耳成山、と写真で見ていた景色が目の前にあることに感動していた。

 大君は神にしませば天雲の雷の上にいほらせるかも
 香具山は 畝火をしと 耳梨と 相争ひき 神代より かくなるらし いにしえも しかなれこそ うつせみも つまを 争うらしき
 春過ぎて夏来たるらし白たへの衣ほしたり天の香具山


 宿泊した民宿には感激した。というのは事前に明日香村役場へ予約しておいて明日香村観光会館で紹介された民宿は大きな三角屋根の大和棟の古民家だった。亀石から天武持統天皇陵の方へ少し行ったあたりでなんという家だったかは忘れたがその家には猫が一匹いたのを憶えている。こいつは猫又かと思うほどの大きな老猫でニャーニャーいって近づいてくるのはいかにも人馴れした民宿の猫らしかったが、大丈夫、しっぽは二本に分かれてはいなかった。民宿の主人は老夫婦で隣の現代風の家に住んでいたからぼくらの夕食の世話を終えてしばらくすると猫を重そうに抱えて自宅に帰り翌朝ごはんの用意に出てきた。宿泊者は若い女性が何人かと男性はぼくともうひとり似たような年格好の青年のふたりだけで食事はみんなで一緒だったが寝る部屋は男女に別れて相部屋だった。

  その青年は端正な顔つきだが体つきは華奢で明るい色のダブルのスーツを着てネクタイはせず革靴を履いていて荷物といえばキャスター付きのスーツケースがひとつだったからどこからどう見ても飛鳥を散策する出で立ちではない。なにか事情がありそうな人だと思ったが出張の帰りで仕事が早く終わって時間があまったから前々から関心のあった飛鳥に寄ったと言っていた。ほんとうかなと思ったがこんなところでそんなことを詮索してみても意味がなかった。それにぼくは自衛官であることを明かしていなかった。隠していたのではない。青年はこっちがなにも言わない先に、大学生ですよね、なにを勉強しているんですか、と聞いてきたから、機械工学ですよ、と答えた。本当を言えば大学生であることも知られたくなかったが大学生ではないと答えてではなにをしているのかと聞かれたら困っていただろ。嘘をつけばまた嘘をつくことになる。しかし聞かれてもいないのに自分から言うことはない。東京での通学する自衛官という二足の草鞋のような生活は楽しいことは少なく嫌なことが多い毎日だった。今こうして飛鳥にいるぼくは自衛官であることも大学生であることもすべてを忘れていたい。いや旅に出ればぼくはまったくちがうぼくでいたい。そんなぼくの事情に青年はなんのかかわりもなかった。
 夕食のあと部屋で今日はどこへ行きなにを見てきたという話になったのは自然の成り行きだったが意外にも青年は飛鳥をよく知っていて思いのほか話がはずんだ。床に入ってからも話は続きどのくらい話していたのかぼくは昼間の疲れが出たみたいで知らないうちに眠っていた。


 翌朝青年に自分はこれから室生へ行き今日のうちに東京へ帰ると話すと青年は自分も今日は東京へ帰るがどこにも寄らずまっすぐ会社に行くと言うから、東京でまた会うことがあるかもしれないね、とどちらかともなく言って別れた。電話番号を交換しなかったのは男同士だからだがそこはやはりパソコンも携帯電話もない時代の旅先での一期一会だった。青年の名前は憶えていない。互いに名乗っていなかったような気がする。 2025年3月25日 虎本伸一(メキラ・シンエモン)

   
 橘寺 1977年2月26日   橘寺 2019年10月22日
   
  入鹿の首塚 1977年2月26日   入鹿の首塚 2019年10月22日
   
  亀石 1977年2月26日   亀石 2019年10月22日
   
  石舞台 1977年2月26日   庚申塚 背景は川原寺址 1977年2月26日
   
  明日香村の石仏 1977年2月26日   明日香村の道標 1977年2月26日


写真 虎本伸一



  下の画像は明日香村役場から届いたはがきの裏、飛鳥のレンタサイクルの自転車置場整理券、室生のレンタサイクルの利用券、室生口大野から京都までの近鉄の切符です。 ぼくには旅行に行くと記念になりそうなものを取っておく習性があって飛鳥室生の旅でもなにか残していないかと探してみたらパンフレットや案内図に混じって日にちが入ったものがいくつか出てきました。あれっ、笑いましたね、そうでしょうね、普通は捨ててしまうゴミですから。それになぜ切符が残っているのか。使わなかったんじゃありません。そのころは自動改札じゃなかったからちゃんとハサミを入れたあとがあります。乗り換えのとき回収がなかったのかもしれません。いずれにしてもこういうものって実物だからでしょう写真よりいっそう鮮明に記憶を蘇らせます。 2025年3月26日 虎本伸一(メキラ・シンエモン)

 
 








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